しかし現在の堂は、その後の明和3年(1766)落成したものであり、 江戸中期の御堂建築としては貴重なものとされています。
本尊は武田信玄の守本尊であった毘沙門天で、 天正10年(1582)武田氏が滅び、 この毘沙門天は人の手に渡ってしまいましたが、 その後柳沢吉保の手に移り、 三富の開拓が成功したのも毘沙門天のご利益と思い、 中富にお堂を建てて祭ったといわれています。
また、多聞院境内には鬼の悟りの像があり、 近年信徒の石工が、 鬼が悟ってじっと我慢をしている姿を彫ったもので、 わがままを通す人達への戒めの願いが込められているそうです。
多聞院毘沙門堂1 | 多聞院毘沙門堂2 | 鬼の悟りの像 |
資料提供:所沢市経済部商工課